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「煩悩」の意味と使い方・数・煩悩を消す方法・読み方・類語

「煩悩」の意味と使い方・数・煩悩を消す方法・読み方・類語
煩悩は悪いイメージがある言葉ですが、悪いだけのものではありません。煩悩を正しく知るために、煩悩の意味や使い方、108つの煩悩とはなんなのか、煩悩の種類と消し方などをご紹介しますので、煩悩を正しく理解し、自分の煩悩に惑わされない人になりましょう。

初回公開日:2018年9月13日

更新日:2018年9月13日

記事に記載されている内容は2018年9月13日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。

また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。


「煩悩」の意味と使い方

煩悩とは仏教の教義の一つで、自己中心的な思考のためにおこる心の動きや働きのことです。煩悩は人の欲望の数だけあり、無数にあると考えられますが大きく分類して108あると言われて、煩悩は原語のサンスクリット語ではクレーシャと言います。

煩悩は生きていくためのエネルギー原

煩悩は生きていくためのエネルギーでもあり、犯罪を引き起こすような悪い考えでもあるので、良くも悪くもとらえることができる言葉です。例えば、美味しいものが食べたいとかいい車に乗りたいなども煩悩です。お金が欲しいと思ったり、美しい女性と付き合いたいと思うのも煩悩です。

煩悩のない世界「涅槃」

生きていくなかで次々と沸いて出てくる人の本質的な欲求が煩悩です。煩悩を抑えることで、人を超越した存在になることができるとするのが仏教の考えかたで、煩悩がない世界を仏教では涅槃(ねはん)と呼びます。僧侶はこの涅槃を目指して修行し、悟りを開こうと努力をします。

煩悩の使い方

煩悩の使い方としては、「子煩悩」や「煩悩にさいなまれる」などがあります。子煩悩は子どもに対の愛情が非常に強く、子どもが自分の中心になって生きていくことです。子煩悩は悪い意味の煩悩ではなく、親として正しい煩悩といえますが、度が過ぎると「親バカ」という意味になります。

煩悩にさいなまれるは、煩悩によって肉体や心を苦しめられ非常につらい状態になることを言います。煩悩は仏教の言葉でありながら、生活の中でよく使われる言葉でもあり、日本人の文化の中に根付いた言葉です。

煩悩の数

煩悩の数は人の頭の中で考えられることなので無限にあります。特に都会で生活していると、刺激が強く煩悩が次から次へと頭の中に沸いてきます。煩悩は新しいアイデアを生むパワーにもなり、街や文化を発展させていく力にもなります。

108つの煩悩とは

煩悩の数は無限ですが、除夜の鐘の数のように108つに分けるという考え方もあります。人には気持ちに迷いを起こさせる六根というものがあります。眼・耳・鼻・舌・身・意が六根と言われていて、六根それぞれに、好(気持ちがいいこと)・悪(不快なこと)・平(好と悪の中間、どちらでもないこと)の3種があるので、合計で18の煩悩があると言われています。

この18の煩悩に、さらに、浄(綺麗なこと)と染(汚いこと)の2種があり合計で36種類になります。この36種類に時間の概念である、過去・現在・未来の3種をかけると36×3で108の煩悩となります。

108つの煩悩の別の考え方

語呂合わせのような考え方で、「四苦八苦」という言葉で四苦を4×9=36と考え、八苦を8×9=72と考え、合計して108つの煩悩になるというものもあります。こちらは覚えやすいので、飲み会などのネタとして話すと面白くていいです。

108の煩悩のただしい説は未確定

煩悩が108つあるという説の理由ははっきりとは言えませんが、日本では8と言う数字を神秘的なものととらえる習慣があり、八百万の神などの言葉に使われてきました。

100の煩悩と言えばキリがいいですが、あえて神秘的な数字である8を使い108つにすることで、煩悩をより不可思議な意味にし、人の心の複雑さを表しているとも言えます。

除夜の鐘は108の煩悩を振り払うためのものですが、煩悩が無数にあるという考え方ものあるため、除夜の鐘を108回以上ならすお寺もあります。現実的ではありませんが、本当に無数の煩悩を振り払おうと思ったら一年中鐘を鳴らしつづけてもいいのです。

煩悩の種類

煩悩の基本的な種類は「三毒」と言われています。それは、貪欲・瞋恚・愚痴でこの3つのぼんのうが全ての煩悩のもとであり、人の欲望のみなもとになります。

貪欲

貪欲は求めすぎることで、自分が必要としている以上のものを求めてしまい、無駄いろんなものを体にまとってしまうことです。

食事をたくさん食べすぎて、脂肪がつき太ってしまうことや、お金をたくさん持ちすぎて使い道がわからなくなること、知識がありすぎて頭でっかちの人になってしまうことなど、貧欲な状態になると人として正しく生きているとは言えなくなってしまいます。

瞋恚

瞋恚(しんい)とは怒りや妬みの感情です。この感情を持ちすぎると人が信用できなくなり、人に対しての優しさをかく人になります。瞋恚は三毒の中でも非常に強い感覚なので、これを抑制することができれば、より煩悩のない涅槃の世界に近づくことができます。

妬みの感情は職場の同僚や、親が子どもの友達などに向けて持つ感覚ですが、この感情を感じやすい敏感な人は、妬みの感情を受けて病気になってしまうこともあります。人を傷つけないためにも瞋恚の感覚をコントロールすることが必要になってきます。

愚痴

愚痴は事の本質や真理に対して無知なことです。全ての物事に対して心理をみることができない心の状態になっているので、人の言うことを聞かずに自分の考えだけで物事を判断します。

「愚痴を言う」と言う言葉もこの愚痴からきていて、言っても何もかも変わらないこと、しょうがないことをくどくどと嘆くことをいいます。本質的にものごとがわかっていないので、いくら言っても何も解決にならないという意味があります。

煩悩を消す方法

煩悩を消すのは不可能です。ただし、煩悩の数を少なくして穏やかな心持で過ごす努力はできます。それには、常に三毒を意識して生活をすることです。

貧欲の感覚を減らす

貧欲の感覚をへらすために、食事は常に腹八分目を意識します。飲むと感情のコントロールが難しくなるお酒も控えめにして無駄なカロリーを取らないようにします。

物を持ちすぎていたら、断捨離をして無駄なものを捨てましょう。自分にとって最低限必要なものにすることで貧欲の感覚を少なくすることができます。

瞋恚の感覚を抑える

瞋恚の感覚を抑えることで、全てのものごとに優しく接することができるようになります。怒りの感情は周りの人にも伝染して、新たなる怒りを生んでしまうので、自分が怒りの煩悩を抑えることによって周りの人の怒りの煩悩を抑えることにも繋がります。

怒りの感情は、怒りを感じた瞬間は非常に強く感じますが30分もすれば気持ちが落ち着いて、そんなに怒りを感じなくなります。怒りの煩悩をコントロールするには、最初の瞬間を我慢することを覚えることです。

怒りを感じたときに、常に我慢するように心がけていれば、怒りの煩悩を少なくすることができます。

愚痴を言うのをやめる

愚痴は三毒の煩悩のなかでもっとも愚かなことと言われています。自分の無知を知らずに文句ばかりを言って過ごすのは、周りの人からみたら非常に滑稽に見えます。

愚痴の煩悩を抑えるには、物事を否定的にとらえるのをやめることです。気に入らないことやつまらないことがあっても、自分にとって価値がないと思わずに、この試練を乗り越えることで新しい自分になることができると肯定的に考えます。

愚痴を言わないことで、周りの人も立派な人だと思ってくれるので、人との関わりもよくなり自分を高めることができます。愚痴を言いそうになったら、話さないこと、だまって自分の中で考えていい考えに向かうように心を向けていきましょう。

ペットを飼う

三毒ではありませんが、ペットを飼うことも煩悩を消すいい方法です。煩悩は自分中心にかんがえるためにこる心の感情ですが、ペットの世話は自分以外の生き物に対する無償の愛情です。

自分の欲望のためではないことを行うことで、煩悩で考えたこと以外にも人生の幸せがあることを感じて、無駄に煩悩を持ちすぎることがなくなってきます。

僧侶になる

煩悩を自分の中から完全に消し去ろうとするなら、仏門に入り僧侶になるしかありません。僧侶になってからも一生修行が続き、煩悩を完璧になくすことはできないですが、より煩悩のない人間に近づくことができます。

山にこもって暮らす

煩悩は周りからの刺激によって湧き上がってくるものなので、刺激のない世界にいくことで煩悩の数は少なくなります。山にこもって一人で暮らせば、煩悩を引き起こす刺激が少なくなり、最低限の煩悩で済むようになります。

これは、僧侶が質素な生活をして、無駄な刺激を受けずに修行をすることに似ていて、仏教の修行とも通じるものがあります。ただ文化的なものを過度にもちこむと煩悩の元になるので、山にこもる場合は、テレビやラジオ、スマホなどはなるべく持っていかないようにしましょう。

煩悩の読み方

煩悩はぼんのうと読みます。煩悩の煩の字ははんと読み、わずらわしいことや面倒なことを表しています。煩には他に、込み入っていてわずらわしいしいことを意味する「煩雑」や、いろいろ悩み苦しむことを意味する「煩悶」などの言葉があります。

煩悩はわずらわしい考え方に思い悩むことを表しています。煩悩は言葉ではよく聞きますが、漢字で書かれると読めない場合があるので、読み方を覚えておきましょう。

煩悩の類語

煩悩の類語には懸念や五蓋、憤悶などの言葉があります。懸念は気になって心から離れないことを表しています。

五蓋とは、仏教の瞑想の修行の障害となる、5つの煩悩のことです。僧侶はこの5つの煩悩を取り除くことで本格的な仏教の修行を行うことができます。

五蓋のそれぞれをご紹介します。
・貪欲(とんよく)渇望や欲望のこと
・瞋恚(しんに)怒り・憎しみのこと
・惛沈・睡眠(こんじん すいめん)倦怠や眠気のこと
・掉挙・悪作(じょうこ おさ)心が浮動すること、心が落ち着かないことや後悔
・疑(ぎ)疑いのこと
となっていて、人の基本的な煩悩を表しています。

憤悶はいきどおることで、悶え苦しむような激しい苦痛を伴います。煩悩の静かな感じよりも、より激しい苦悩です。

ことわざ

煩悩には様々なことわざがあります。普段の会話の中に煩悩のことわざを使ってみると、人に頭のいい人だなと思われます。煩悩のことわざをご紹介しますので、会話のスパイスとして使ってみましょう。

煩悩の犬は追えども去らず

煩悩はまるで犬のように、人にまとわりついて離れないものです。犬は追えば逃げてしまいますが、煩悩は追っても払っても去ってはくれない、人に永遠につきまとうものだということを表したことわざです。

僧侶は煩悩を無くして涅槃の世界にいくことを目指して修行をつんでいます。煩悩のない世界の涅槃になれば、このことわざも意味をなさなくなります。

煩悩あれば菩提あり

煩悩という迷いの気持ちもあれば、菩提という仏のさとりもあるという意味です。菩提とは阿耨多羅三藐三菩提の略で、仏教で教えられる52のさとりの中で、仏のさとりとして最高のものをさします。

「苦あれば楽あり」に似たことわざで、つらいことがあれば、いいこともあるという意味で、人生には、苦しいことばかりが続くわけではなく、心が安らぐ気持ちにもなれるということわざです。

煩悩の対義語

煩悩の反対語はいろいろありますが、正覚や菩提、無欲などがよく知られる言葉です。それぞれをご紹介しますので煩悩と合わせて日常会話で使って見ましょう。

正覚

煩悩の対義語の正覚はしょうがくと読みます。意味はただしいさとりのことです。さとりを開くには煩悩を克服しなければならないので、煩悩のない状態になり、煩悩の反対の言葉になります。

正覚は仏教用語で、宇宙大心理さとることという意味もあります。また心理をさとった人や仏や如来にことを言うときもあります。

菩提

菩提はぼだいと読み、さとりの境地のことをいいます。菩提を習得したものが仏になります。菩提を得ると煩悩が消え去るさとりの状態になります。

仏教の最終目的であるさとりの状態が菩提でもあります。その菩提を求める心のことを菩提心とよび、僧侶は菩提心を持って修行に打ち込み、さとりに近づこうとします。

無欲

無欲は欲望がないことや、ものに執着しないことを言います。無欲はさとりを開いたという意味ではなく、いろんなものごとに関心をしめさない状態です。自分から煩悩を振り払おうと努力したのではなく、何も考えない木の抜けた状態です。

奉仕

煩悩が自分のために何かを欲しがったり、自分が楽しみたい欲望だとすれば、奉仕は人のために何かをして、その行為によって自分が幸福感を得て、同時に相手にも幸福を与えることができるものです。

人は誰かに感謝されたり認められたりされると幸福感を感じます。奉仕をすることで、自分だけの幸せを追い求めることが、つまらないことだと気づくことができて、煩悩の数が減っていきます。

煩悩を持つことは悪いことではない

煩悩は誰しもが持っている心の情熱のようなもので、煩悩がたくさんあるからといって、人間的におとっているわけではありません。僧侶が煩悩を捨て去ろうとするのは神に近づくためで、一般の人がそれを真似する必要はありません。

煩悩をある程度コントロールして、自分の欲の塊にならなければ問題ありません。逆に煩悩を活力のもとにして厳しい現代社会を生き抜いて行きましょう。

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